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今週のテーマ
会議番号:2029
大学受験のための高校でいいですか?
投票結果
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864票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2006年11月06日より
2006年11月10日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
一色真司 代々木高校 校長
今回は、沢山のコメントありがとうございます。それだけ皆さんにとっても履修問題は関心の高い出来事である……
議長コメントを全文読む
1日目までに届いている投稿から...
そうでないと困る高校もある (nikku・千葉・パートナー無・23歳)
塾が全国に満遍なくあると考えると、学力強化は塾で、公共性を学校でと考えてよいと思います。しかし、決してそうではありません。塾が近くにない高校地域や、高い授業料を払えない家庭において、高校で大学受験対策をしてくれないと、受験に弱い学生が育つと思います。
今思えばNOですが (にっしぃ・東京・パートナー有・35歳)
今回の未履修問題、特に地方の進学校に多いそうですね。地方には優れた予備校が少なく、高校に予備校的なことが求められるからだそうです。地方の進学校出身の私としては、とても実感できます。私も予備校などに通わずに学校の授業のみを信じて大学受験に望みましたから。でも、実際社会に出てみると、そんなことではいけない、それは、当たり前のように感じるのですが、自分の高校時代を考えれば、その気持ちもとても分かるのです。
自分自身の柱を築く場 (チョコレートパフェ・東京・パートナー無・20歳)
私は吹奏楽部で朝から晩まで休みなく練習し、その合間の空き時間を見つけて勉強する3年間過ごしました。そうした生活の中で、忙しさゆえに空き時間に集中する等といった「今やるべき事に夢中になれ!」能力を身に付けました。以上のような生活を送った私でさえも、志望校合格となりました。高校は大学受験のためではありません。自分を見つめ、生きていくうえでの自分自身を支える柱を築いていく場ではないでしょうか。
学校は社会の縮図 (はぁもにぃ・東京・パートナー無・21歳)
高校は中学とは違い、地元の友達以外の人も沢山います。様々な考えの人たちの中で、自分のあり方を考えていく練習をするのが高校ではないでしょうか? 私は高校で部活動ばかりやっていましたが、目上の人に対する態度や、生活のマナー等はしっかりと身についたように思います。同世代の人と協力して何かをつくりあげるというのも非常に良い経験でした。理不尽なことに涙を流したこともありましたが、その経験があったからこそ壁を乗り越える力がついたのだと思います。
自分を作る時間 (ハルヒ・千葉・パートナー有・29歳)
学校の講義中だけが、学ぶ時間ではないと思っています。でも、今回のアホな事件で『世界史を受けられなかった不公平』について声高にならないことが不思議です。国際社会に通用する人間! をあれほど謳っておきながら……。地球上にはそれぞれの土地の歴史があって。その上に生きているということへの理解が『受験科目じゃない』という理由で棚上げされ、またそのことを疑問に思わないなんて! 様々なことに疑問を持つ、それに対して考察する力を作るのが高校時代じゃないでしょうか。
学校は知識と社会を結ぶ場 (**♪ひとみ♪**・19歳)
私にとっての高校生活は、多くの人との「出会いの場」でした。様々な活動を通して色々な人に出会って、多くのエネルギーを貰い、考え方にも沢山影響を受けました。そして、高校時代までに学んできたことと、それらを結びつけて、より人間として豊かに成長できたように思います。予備校や塾は知識だけを植えつける場。学校とは、その知識と社会や実体験を結び付けて考えさせる場ではないでしょうか?
高校生活で得るもの (もりやん・東京・パートナー無・19歳)
仲間と共に部活や行事に真剣に取り組んだという経験が今の私を支えているように思います。同じ苦しみや喜びを味わった人がいるということ、私のことをよく理解してくれている人がいるということ。これが安心感を与えているように感じるのです。もちろん、学校ですから勉強にしっかり取り組まなくてはなりません。しかし、高校生活で一番得たいと思うものが、“大学合格”であったら。とても寂しいものではないかと私は思います。
全員が大学を目指す意味? (jersey・熊本・パートナー有・29歳)
高校生時代は、私にとってはあまり楽しくない時代でした。勉強にしても何にしても、やらされてる感が強く、実際、興味のある分野の学習は学校の薦める受験には必要なかったので……。大学で専門知識を学ぶ必要のある職業に就きたい、大学で専門分野を学びたい、と強く思う人以外の人にまで半ば強引に大学受験をさせる必要はないだろうと身をもって感じます。高校は、生徒自身が将来を考え行動を起こす、それを促すような素地であってほしいと思います。
2日目の円卓会議の議論は...
「学校」は社会の鏡
今回は、沢山のコメントありがとうございます。それだけ皆さんにとっても履修問題は関心の高い出来事であるかが解ります。しかも10代の人を含め幅広い年代の方々から頂きました。
今、政治の世界でも教育再生を掲げて動きだしています。あらゆる人にとって教育の場は非常に影響を持っており、その中心に「学校」があるわけですからこれを機に真剣に議論をして貰うのには、今回の事件は非常に良いきっかけを提供してくれたのではないのかと思っています。
「子どもは社会の鏡」とよく言われますが、現在の「学校」も社会の鏡ではないのでしょうか?
先日、テレビで著名人が今回の履修問題についてのコメントをされていましたが、「現在の公教育も学区の自由化などの影響で、お客さんを向いてないといけない状況になっている。従って、今回の事件は社会の要望でもあったのだ」と言うものでした。
私もこの意見にはかなり賛成です。社会全体が「偏差値、大学受験、一流企業就職」この流れから卒業できず「偏差値」という「物差し」しか持たない人が未だにいかに多いかと言うことです。
国を背負って立っていく人も、大会社でグローバルに働く人も絶対に必要ですが、社会全体で必要なのでしょうか? もっと違った「物差し」の価値感があり、それを育成する「違った物差しの学校」が何種類も必要なのではないかと私は考えています。
「今思えばNOですが……」とお答え頂いた35歳の方のご意見はとても貴重だと思います。
現に今真っ直中にいる本人や保護者にとっては、理屈では「受験ばかりが全てじゃないでしょ」と言ったところで、本音は、「でも受験大変じゃない」と仰る方の方が多いのではないでしょうか。
受験期特有の強迫観念で独特の雰囲気になっている時期には、理性や理屈の前に本音がついつい支配しているように思え、私には本人、保護者、学校が一緒になって受験体制に走っているように見えてなりません。
何故なら、その強迫観念の犠牲者になった生徒を沢山お預かりしているからです。
一色真司
代々木高校 校長
「一色真司 さんとのウィンウィン対談」
子どもたちが「自分の意思と足で歩けるように」との思いを胸に
「週5日制でゆとり教育は実現できる?」
子どもたちの教育のためにわたしたちができること
「子どもの受験は子どものため?」
限られた時間の中で、子どもになにが一番大切なのか
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