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今週のテーマ
会議番号:1836
学校での「宗教文化教育」は、必要?
投票結果
78
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562票
154票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2006年03月06日より
2006年03月10日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
井上順孝 國學院大学教授
海外生活の経験がある人は、それぞれの宗教文化について基礎的なことでも知っているほうが、お互いのコミニ……
議長コメントを全文読む
1日目までに届いている投稿から...
一つの宗教に偏らず (beaute_mania・大阪・パートナー無・33歳)
それぞれの宗教の特徴的な教えや、祭日の意味などを教育されていた方が、将来海外とビジネスをするうえで、最低限のマナーとしても役に立つのではないでしょうか。学生時代でも、ニュースの背景が理解できて興味を持てたり、世界史を学ぶうえでも、理解が早くなると思います。しかし、ある決まった宗派の教えばかりを小学生に教育するのは、どうかと思います。
生活のなかから宗教を見つめ直す (めたぼ・大阪・パートナー有・36歳)
父が神職で、私自身も神職の資格を持っています。21歳で資格取得のために勉強するまで、特に何かを教えてもらった記憶はなく、生活のなか、作法や行儀のなかに神道の「こころ」が息づいていたので、それが自己基盤になったと思います。そのため他の宗教にも興味がありますし、違いを尊重し、共存することもできます(パートナーは仏教徒)。宗教教育を学校で避けるのではなく、各家庭の法事やお正月などの行事を題材に、「自分とは何か」を考える1つの要素として扱うところから始めるのがいいのでは、と思います。
宗教の背景に国民性を感じる (ルビ丸・神奈川・パートナー無・30歳)
アメリカで生活して、宗教を持たない私は不思議がられました。いろいろな宗教の教会に行き、どれも興味深かったが、心が洗われるとか救われるといった感情はわかなかったです。多分、私が宗教を持っていないから、他の宗教との違いやよさを実感できないんだと思います。世界が平和になれない理由は、宗教問題が大きな割合をしめると思います。誰もが自分の宗教が一番と思ってしまうから……。他人を尊重し、受け入れる心が宗教教育に必要だと思います。
宗教の正体は? (ko-taro・東京・パートナー無・40歳)
宗教を知らないから、偏愛したり偏見を持ってしまいます。触れないようにしていることが、宗教を余計に難しいもの、コワイものにしているのではないでしょうか。一歩引いたところから、結局何なのか、どういう考え方なのかなどを教えることは必要だと思います。それがベースにあることで戦争、社会、政治のみならず、修学旅行や美術鑑賞などにも理解、関心、意見などを持てるようになるのだと思います。
歴史に含めて (イスタンブール・関東・30代パートナー有・)
海外へいくとさまざまな違った文化・風習に触れ、それらが宗教の影響を受けていることに気付かされます。歴史を知るとともに、背景にある宗教を知ることは、必要なのではないでしょうか。ただし多感な時期の子どもたちに偏見を持たせないよう、教え方にはかなり工夫が必要だとも感じます。先生の考えに多大な影響を受けたことを、自分でも実感するからです。
政教分離の基本で (summerfield・東京パートナー有・)
政治と宗教が一体化しないように、という原則が日本にはあるはずなのに、それが現在、崩れているように思います。教育と宗教は公立の学校では分離すべきだと思います。理由は(1)教える側が、個人の心情から完全に中立な立場というのは難しい、(2)いつのまにか宗教を統率のために利用する人が出てくる、(3)短期間に教える側が世界の宗教のことまで学べるものではない、(4)有無を言わせず心の問題に「授業」と称して介入するのは問題……というように思います。
2日目の円卓会議の議論は...
子どもたちに教える側の、理解度も重要
海外生活の経験がある人は、それぞれの宗教文化について基礎的なことでも知っているほうが、お互いのコミニュケーションが円滑になるということを実感として理解しやすいようです。そこで現実的な課題となってくるのは、誰がそのような知識なり素養なりを学校教育の場で伝えられるかです。
テレビの番組も注意深くチェックしていると、さまざまな宗教文化を紹介している場面はけっして少なくないことに気づきます。しかし体系的な説明や、少し深みのある説明となると、なかなかお目にかかれません。
断片的、あるいは中途半端な宗教文化の説明は、かえって誤解をもたらすおそれがないとは言えません。やはり教える人が誰か、どういう方法で教えるかはとても重要なことになってきます。
他方、宗教文化教育が政教分離に抵触するのではないかという疑問は、当然に起こるものの一つです。むろん、憲法20条に明記された政教分離の考えは、多くの宗教についての知識や常識を学んでいくことを、決して禁じてはいません。
ただ教える側が政教分離の根本理念を十分理解していないと、特定の宗教に関係する教えを、これは日本人なら当たり前の宗教的な考えだとか、行為だと思いこんで、それを生徒におしつけてようとする危険性もなくはありません。
この点を考えても、やはりどのような訓練を受けた人が教えるのか、教える人について、慎重に考えなくてはいけないのではないかということになりそうです。
一部の宗教系の学校は別として、大半の私立の学校、公立の学校は、宗教文化教育をやろうとしても、いわばインフラが乏しいのが実情です。こうした現状において、具体的にどんな手立てがあるかを考えてみないことには、仮に理念はいいとなったとしても、絵に描いた餅ということになるでしょう。
果たしてどうすれば可能かを、できるだけ具体的に考えながら、この問題について判断していく必要がありそうです。
井上順孝
國學院大学教授
「宗教の風刺はどこまで許されるのか」
元NHK「週刊こどもニュース」のお父さん、池上彰さんが解説!
「カルチャーショックを受けたことがある」
カルチャーショックと文化的感受性の関係とは?
「外国人労働者、受け入れに賛成ですか?」
開かれた、「住みたい国」になると……。
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