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今週のテーマ
会議番号:1820
「格差」が大きくなっていると思いますか?
投票結果
92
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979票
81票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2006年02月20日より
2006年02月24日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
藤田正美 『ニューズウィーク日本版』元編集主幹
もりぴぃさんの投稿には笑ってしまいました。僕もまったく同じように考えてしまうからです。でも若くて高級……
議長コメントを全文読む
2日目までに届いている投稿から...
メディアと自分の行動範囲の違い (あきんぼ・東京・39歳)
テレビ番組や、平均年収のデータを見る限りは、格差があるように感じます。しかし、自分の行動範囲では、そのような格差は見えません。悲しいことですが、収入の違う人間は、住む世界すら違う世の中になったのかもしれません。格差が広がれば、さらに違うクラス間の関わりが減るのではないでしょうか。大人はともかく、子どもには、いろんな生活レベルがあることを目の当たりにして成長してほしいので、好ましくない環境だと思います。
本当に価値あることとは (もりぴぃ・埼玉・パートナー有・34歳)
働きに見合った収入を得るのは決して悪い事ではないと思います。問題を感じるのは使い道です。例えば独身で実家に住み、お金のかからない環境に甘えて高級車を乗り回しているような人には、正直、私は軽蔑すら感じます。私利私欲に注ぎ込み羨望の眼差しを受けて自己満足だけに終わらせているか? それとも社会の役に立つことに循環させようとしているか? その人の本当の価値は、決して持っているモノなどではなく、尊い行動にこそあると思います。そのことを忘れている社会病癖のひとつが「格差」なのかもしれないと思います。
フリーランスの立場から (frankubelik・東京・パートナー有・36歳)
私はフリーランスの実務翻訳者です。仕事柄、個人の努力や能力によって収入には開きがあり、正社員で勤める友人と比べると経済的な安定や見通しは得にくいです。しかし、こういう環境に身を置いていると努力しよう! という強い気持ちが湧いてきます。多少の格差が生じるとしても、ある程度自由な世の中というのは悪くないと思います。ただ高収入のみを求めるのではなく、自分にとってどの程度のお金が必要で、どんな生活なら幸せを感じるのか、自分の価値基準を持つことが大切だと感じています。
「機会の平等」まで失われいく? (kichimama・千葉・パートナー有・39歳)
「結果の平等」を追求してきたことに対する反動もあると思いますが、やはり個人の成果が個人に返る、ある程度の格差は必要だと思います。ただ危惧すべきは、一度生じた(経済的)格差がそのまま、固定的な階級を生み出しつつあることだと思います。適正な競争社会を容認しつつも「機会の平等」は失われてほしくありません。そのためにも特に教育分野で、なりたいものを目指す「自由」や、がんばれば望む結果が得られるという「希望」が失われないよう、社会全体で考えていきたい、と思います。
悪いことばかりではない (いまいくん・埼玉・42歳)
格差が大きくなっていることは間違いないと思います。ただそれが悪いことばかりではないと思っています。「事業での成功=人生の成功」ではないですから。充実した日々を過ごし、幸せを感じることができているのなら、その人は間違いなく「人生の成功者」ではないでしょうか。ただ格差が広がって気になるのは、教育と医療の問題です。リッチな人しか高度な教育や医療が受けられないような社会では困ります。政府に最低限この2つは確保してほしいです。
金銭格差はあってもいいけれど (植月・岐阜・パートナー無・28歳)
格差が広がっても富裕層からお金が動き、文化教養がさらに発展するなら金銭格差はあって良いと思います。同じ持っている物で価値を争うのでも、ブランド名でなく、それを生み出す技術に投資する社会なら、金銭格差があっても仕事にプライドを持て、自分を見失わず生きていけると思うからです。建設業の仕事をしているのですが、AKさんの投稿のように、職人の技術にお金を払う気がない「モノは持ちたいけれど、お金は失いたくない」という施主が多く、拝金主義の社会になっていると感じます。
3日目の円卓会議の議論は...
機会平等こそ社会のダイナミクス
もりぴぃさんの投稿には笑ってしまいました。僕もまったく同じように考えてしまうからです。でも若くて高級車に乗っているのが親のすねかじりとは限らないのですから、あまり先入観を持たないほうがいいかもしれませんね(と私は自戒しております)。とりわけIT産業では若くてお金を持っている人はいっぱい生まれたのですから。またもりぴぃさんの人の価値はモノではないというご意見にも私は100%賛成します。
格差が広がっていくことが即ち「悪」であるとするご意見は少ないようですね。そうすると問題は、この格差がやがては階級になっていくのかということです。
kichimamaさんがこの点を鋭く突かれています。「ただ危惧すべきは、一度生じた(経済的)格差がそのまま、固定的な階級を生み出しつつあることだと思います」
日本という社会は階級社会とは言いにくいところがあります。いわゆる特権階級は、明治維新と先の大戦によってずいぶんいなくなりました。敗戦後に旧宮家がずいぶんつぶされたことが、現在の皇位継承問題つまり皇室典範改正問題につながっていることはご承知のとおりです。旧華族(武家階級)もあまり目立ちません。
社会としておそらくいちばんいい状態は、親の収入の多寡が子どもの将来とあまり関係がないような社会、つまりお金がなくても努力すれば報われる社会かもしれません。そういえば僕らが小さいころは、二宮尊徳が蛍の明かりで勉強したとか、野口英世の子ども時代がいかに貧しかったかとか、一念発起して功績を残した人物の物語をよく聞かされたものです。
アメリカなどでは、親が金持ちでも子どもは関係ないと考える人が多いそうですが、本当にそうなのかどうかは残念ながらよくわかりません。企業の世襲なども日本より少ないようには見えます。その点、日本のほうが親のカネは子どもにもずいぶん影響を与えているように思えます。つまり子どもが当てにしているということでもあります。それがたとえば教育(特に高等教育)の機会平等を奪っているかもしれません。
そういう意味で、教育の機会平等をどうやって保つかが重要な課題だと思います。まずは奨学制度をさらに拡充することが必要です。それが社会のダイナミクスを維持することにつながります。
さて皆さんは、教育や教育以外の機会平等が日本の社会から徐々に失われつつあると思いますか。できれば具体例を挙げて投稿してください。
藤田正美
『ニューズウィーク日本版』元編集主幹
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