太平洋戦争前の英語論議(2002年11月21日)
出張勝也(でばり・かつや)
株式会社オデッセイ コミュニケーションズ代表取締役社長
小渕首相のもと、「21世紀日本の構想」のメンバーによって英語の公用語化が提案され、日本国中で、英語に関する議論が集中的に行われたのは、ほんの数年前のことです。僕が中学生だった70年代の頃から、記憶にあるだけでもさまざまな英語議論が行われてきましたが、実は、明治時代から太平洋戦争までの期間にも、同じような議論がなされていたことを知りました。
そのあたりの話は、『英語講座の誕生-メディアと教養が出会う近代日本』(山口誠著、講談社選書メチエ)に詳しく紹介されています。この本を読んでおもしろいと思った点を何点か挙げてみます。
第1に、戦前にも、実用を目的とする「英語会話」、教養(あるいは人格形成)を目的とする「英文学」、そこから派生して出てきた入試科目としての「受験英語」など、いく種類かの「英語」があり、自分のキャリア(=食い扶持)をかけてそれぞれを教えている教師グループが、戦後と同じように議論を戦わせていたことを知り、日本人の英語力はもちろんのこと、英語論議もまた、本当に進歩していないのだなあ、と妙に感心してしまいました。
第2に、ラジオ放送が一般的になるにつれ、英語講座の種類も増え、英語会話、英文学、受験英語の講座が戦争の始まる直前まで行われていたこと。さすがに戦争に突入してからは、敵性言語として4年近くの「中断」に入りますが、すぐに戦後再開されたことを考えると、1925年に放送が始まって以来(当初は、ラジオ、そしてテレビ)、日本において英語の人気はずっと根強いものがあると言えるでしょう。
第3に、戦前においても、テキストのスキットの内容が時代によって変化したこと。つまり、当初は、スキットの内容は、海外の情報を、イギリス人、あるいはアメリカ人から教わるというものだったが、1930年代に入って、国際社会において誤解されている日本を正しく伝えるために、Japan ではなく Nipponの紹介 をするスキットが入ってきたこと。これなどは、日本の歴史や社会に関して、積極的に英語で海外に発信していくためには、英語の勉強の教材に日本国内の記事を取り上げるべきだという議論を思い起こさせてくれました。
最後に僕の感想ですが、黒船来航以降、われわれ日本人にとって、英語との関係は、「心の傷」(最近の言葉では、トラウマ)になっているのではないかとさえ思えてきます。いわゆる国際化がうまく進展せず、自信を失っている時には、英語教育はどうあるべきか、なぜ日本人が英語を勉強しないといけないのかという議論が何度も繰り返されます(バブル経済の崩壊も、経済の国際化に挫折している状態と言える)。それは、癒されていない心の傷が、海外との関係がうまくいかないことがあるたびに、うずき始めるかのようです。
参考文献:『英語講座の誕生-メディアと教養が出会う近代日本』
著者:山口誠 出版:講談社選書メチエ ISBN:4062582147 発行年月:2001.6 本体価格:\1,600