|
サイトマップ
|
お問い合わせ
|
ewoman検索:
>>> 旧リーダーズ/メンバーからの移行登録について
働く人の
円卓会議
人から学ぶ、
人と学ぶ
表参道カレッジ
国際女性
ビジネス会議
佐々木かをりの
win-win対談
ホーム
>
ニュース@
>池上彰の『解決!ニュースのギモン』
第36回(2) 2006/08/22
レバノンはどんな国?
ページ|
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
バックナンバーを見る
<1ページ目からの続き>
フランスがレバノンを作り出した
今回の停戦実現にあたっては、フランスが熱心でした。フランスは、レバノン問題に強い関心を抱いています。それもそのはず。レバノンが、このようなモザイク国家になってしまった歴史的責任はフランスにあるからです。
第一次世界大戦中、中東地域を支配していたオスマントルコと戦争していたフランスとイギリスは、戦後、オスマントルコの領土をどこが支配するか、秘密協定を結び、領土を“山分け”しました。サイクス・ピコ協定といいます。
これにより、パレスチナはイギリスの統治下に入り、「中東問題」発生の遠因となりました。一方、現在のレバノンやシリアの地域はフランスの支配下に入りました。ベイルートが「中東のパリ」と呼ばれるのは、フランスが町を作ったからなのです。
フランスの支配下に入った地域の中では、キリスト教マロン派の人たちが住んでいた地区を中心に、フランスからの独立の動きが出てきます。独立を認めたくないフランスは、ある仕掛けをしました。イスラム教徒が多く住む地域と統合して、いまのレバノンの国境線を引き、フランスの統治領としてしまったのです。
互いに別々の地区に住んでいたキリスト教徒とイスラム教徒をひとつのレバノンに一緒にしてしまうことで、住民がまとまって独立運動ができないようにしたのです。レバノンは、フランスの都合でできた“人工国家”なのです。
第二次世界大戦中の1943年、フランスがドイツに占領されている間にレバノンは独立を果たしますが、「国民がひとつにまとまらないように国境線を引いた」国家であるゆえに、その後も国家の統一性を確立できないのです。
パレスチナ難民が流入した
このレバノンも、いわゆる「中東問題」のあおりを受けます。中東問題に関しては、過去の解説を参照してください。
イスラエルが建国され、中東戦争が起きたことで、大勢のパレスチナ難民が周辺国家に流れます。この難民たちかがPLO(パレスチナ解放機構)に結集し、アラファト議長の下で武力闘争を始めます。ところが、イスラエルの東隣のヨルダンでは、PLOの活動を認めず、1970年、PLOを追放にかかります。ヨルダン内戦です。その結果、多数のパレスチナ難民がレバノンに流れ込みました。PLOの本部機能もレバノン南部に移ったのです。
宗派の対立によって機能不全に陥っていたレバノン政府は、PLOの活動を黙認。PLOは、レバノンに拠点を築いて、イスラエルに対して越境攻撃を始めるのです。
イスラエル軍は、これに反撃。レバノン南部をたびたび空爆します。まるでいまと同じような光景が繰り広げられたのです。
PLOの活動とイスラエル軍による攻撃にもかかわらず、何もできないレバノン政府。国民の不満は、とうとう宗派間の内戦に発展してしまいます。キリスト教マロン派対パレスチナ難民・イスラム教徒による内戦が始まったのです。
イスラエルは、この機会に乗じて……
記事の続きを読む
前のページに戻る
池上彰の
『解決!ニュースのギモン』
今週のギモン
バックナンバー
池上彰さんとの対談
〜ニュース@トップページ〜
・
池上彰の
『解決!ニュースのギモン』
・
現在進行中のサーベイ
・
イー・ウーマン編集デスク
・
ニュースヘッドライン
・
PHOTOリポート
「詳しくはこちら」
イー・ウーマンサイトトップページ
メロンリペア
15万箱 突破!
抗酸化サプリメント
アクション
プランナー
時間が見える大人気の手帳
イー・ウーマンに
依頼する
働く女性の調査
マーケティング
ブランディング
コンサルティング
講演・研修のご依頼
メディア掲載一覧
取材のご依頼
asahi.com
私のミカタ
佐々木かをりの
ブログ
佐々木かをりの
Twitter
©2000-2009 ewoman,Inc.
|
個人情報について
|
利用規約
|
各種お問い合わせ・お申し込み
|
会社概要
|